2020年3月8日(日) 雨
今回は、専養寺~善光寺~大臼塚跡地~美濃・尾張キリシタン顕彰碑(建設予定)を見て来ました。
最初に、岐阜笠松町(オグリキャップの笠松競馬で有名ですよね)の専養寺。
毎月8日に行われる『養日参り』の法要でマリア観音様を拝観し、また触れられるとの事。
昨年10月にカトリック一宮教会の巡礼旅行で訪問した際にお聞きし、再訪しました。
本堂には、色々なかわいい系のグッズが並べられとても賑やか。(ウルトラマンやカオナシもいたぞ、写真がボケて掲載不可!)
養日参りでは、一カ月の反省と今月の誓いを祈願し、法要の最後に直接マリア観音様に触れさせていただきました。
真ん中のマリア様は魚の駕籠を持っておられ、イクトゥス(クリスチャンがよく車に貼ってるアレね)を意味しているそうです。
住職のお話しで、今回一宮の方から俳句の会の方達が来られる予定だったがキャンセルになったという事でした。(新コロ、今まさに旬ですね)
この時期(旧暦2月)は踏み絵が季語で、そのお題の俳句が聞けず残念。
全然知らなかったけど、毎年この時期にキリシタンが踏み絵をやらされていた事から季語となったそうです。
昨年は100回忌の檀家さんが多く、大正7年(1918年)にスペイン風邪が大流行し、その影響で亡くなった方が多かったからだそうです。
昨今の新コロの騒ぎもノアの方舟やバベルの塔の物語のように、放っておけば傲慢で身勝手になっていく私達への神様のなされようなのかな?と感じます。
お地蔵さんへの水掛け(願い事が出来ます)の際にタライに椿の花が沢山浮いていました。
住職の祖父お手植えだそうです。
椿の成長はなかなか難しいようで人の背丈程になるのは結構大変らしい、、、と住職目がウルウルしてました。
おじいちゃんの事思い出したのかな。
それにしても、住職説法の時は朴訥でソフトな語り口なんですが、読経になると声がデカい、太い、艶がある、バリトンのオペラ歌手ですか?
って感じです。
お忙しい所、色々お話を聞かせていただきありがとうございました。
毎月の養日参りはどなたでもあずかれますので、ぜひ来てみて下さい。
いい話が聞けます、オススメですよ。
来月4月8日はホットケーキをふるまって下さるそうです。
何でホットケーキ?当日はお釈迦様の誕生日。仏の日(ホットケーノヒ)
お後がよろしいようで。
車で5分程移動して、善光寺へ。
善光寺境内の大臼塚(ダイウスヅカ)。<デウスヅカ>とも呼べるそうで、
大臼とはデウス(天主の事、長崎の教会の大浦天主堂とかのアレですね)がなまって呼ばれるようになったものと考えられます。
塚に建ててあった「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華経」の石碑があります。
木曽川河川敷のキリシタン処刑場の跡地にあったものを後に当寺へ移築したようです。
今は、整備された河川敷の公園ですが、濃尾地方のキリシタンの大弾圧を記しています。
天気予報では、昼から雨は上がる予報でしたが、ガッツリ降り続いています。
歴史を遡りこの地に生き、そして殺された、声無き者、小さき者の涙雨のような気がしてなりません。
尾張・美濃では織田信長が当初はキリスト教を保護した事もあり、領主が洗礼を受けて領民もそれにならい入信する流れがキリスト教が広まる一因でした。
しかし、世が徳川3代家光、4代家綱の時代になると、幕府の弾圧が激しさを増し、親藩である尾張藩としても幕府の手前本気で苛烈な検挙を行わざるを得ない事情があったようです。
濃尾崩れと呼ばれる大殉教が、ここ塩村・帷子(カタビラ)村で行われ、近隣の五郎丸村、高木村等も合わせて藩内で多くのキリシタンが捕縛されました。
当地での殉教には、キリシタンではないのに寺請制度による寺請証文が取れないだけで検挙されたとか、厳しい取り締まりに殺戮、虐殺された無辜の民がいた事も事実だと思われます。
カトリック名古屋教区では、こういう美濃・尾張のキリシタン弾圧の歴史を風化させないため、顕彰碑を建立し、隠された悲惨な歴史を後世に伝承して行こうとしています。