2021年2月12日訪問。
週末で可児市の大河ドラマ館が閉館となるので、駆け込みで見に行って来ました。
本日は連休の谷間で、くもりで弱風、予想最高気温15℃と絶好の散策日和でした。
会場は花フェスタ記念公園の西駐車場からすぐ右手です。
当日は可児市民は無料との事でなかなかの盛況ぶり。
特徴的な建屋に入り、いよいよエントランスです。
光秀生誕から最後までの色々な名所旧跡の写真&説明がよかったです。
割愛していますが、今後の光秀とガラシャの足跡を訪ねる旅の良い参考になりました。
ミニチュアの精巧な光秀屋敷があり、中には牧や光秀もいました。
よせばいいのに、案内のお姉さんに進められてなりきり光秀です。
天下の謀反人として負のイメージで語られがちな光秀ですが、この地には「あけっつあま」関連の名所旧跡も多く地元での人気の高さがうかがえます。
大河ドラマをきっかけに、光秀の語られなかった功績や人となりが、皆さんに伝わって見直されれば幸いです。
次は、明智城跡へ歩を進めましょう。
大河ドラマ館でもらった案内マップを頼りに歩きます。
道すがら要所要所に案内板があり迷わず進めます。
先を急いで見なかったんですが、日本一大きな光秀の位牌があるそうです。
山城の麓まで来ました。案内板があり、自販機も水色桔梗となかなかの味わいです。
ここからいよいよ城跡の登り口です。
鬱蒼とした森の中を登って行きます。
坂はかなり急ですが足元は良く整備されており歩きにくさは感じません。
大手門までたどり着きました。花フェスタ記念公園から小半時ぐらい歩いたでしょうか、今日は暖かいので結構汗びっしょりです。
本丸まではまだまだ登ります。
やっと坂を登り切って二ノ丸曲輪に到着です。
そのまま少し歩を進めます。
明智城跡の本丸です。城跡碑があります。
光秀が生まれ(諸説諸々ありますが)約30年過ごしたといわれる明智城。
落城してからの諸国流浪の日々は辛酸を舐めたものだったでしょう。
令和2年6月13日建立のピカピカのブロンズ像です。麒麟がくるの放送に合わせて可児市が寄付を募って建てたとの事。
清須公園の信長像よりも立派?かな。
展望台があります。ここから見る明智荘の眺めはなかなかです。
光秀が生きた戦国の世と今もそう変わってない?と思えるような田園風景が望めます。
落城の際に城主であった叔父の光安は城を枕に討死を果たしますが、光秀は明智一族の復興を託され脱出します。
その時は自身が戦国日本の歴史を左右する大きな働きを担うとは本人も思ってなかったでしょうね。
帰りは、近道で反対側のルートから。
本丸曲輪から坂を下るとすぐに住宅街です。
ふれあいパーク・緑の丘方面へ。
歩くのはラクですが、山城の風情はないです。
行きは赤ルート(花フェスタ記念公園~天龍寺~大手門~明智城本丸跡)、帰りはオレンジルート(明智城本丸跡~喫茶店~羽生が丘1交差点~花フェスタ記念公園)で城歩きを楽しむなら断然赤ルートですね。
明智光秀のルーツを訪ねる旅でした。